石見銀山(いわみぎんざん)

石見銀山(いわみぎんざん)は、戦国時代後期から江戸時代前期にかけての日本最大の銀山。鉱脈は石見国東部、現在の島根県大田市大森の地を中心とし、同市仁摩町や温泉津町にも広がっていた。日本を代表する鉱山遺跡として1969年(昭和44年)に国指定の史跡に登録された。2007年(平成19年)に、ユネスコの世界遺産への登録が決定された。同年、日本の地質百選に選定された。

(英名) Iwami Ginzan Silver Mine and its Cultural Landscape
(仏名) Mine d'argent de Iwami Ginzan et son paysage culturel


『銀山旧記』などには鎌倉時代末期の延慶年間に周防の大内弘幸が石見に来訪して銀を発見したという伝説が記されているが、今日、石見銀山を本格的に開発したのは博多の商人・神谷寿貞であるとされている。『石見銀峯山清水寺天地院縁起』によれば、海上から山が光るのを見た神谷は領主大内義興の支援と出雲の銅山主・三島清右衛門の協力を得て1526年(大永6年)3月、銀峯山の中腹で地下の銀を掘り出した。義興の死後、大内義隆が九州経営に気を取られている間、1530年(享禄3年)に地方領主・小笠原長隆が銀山を奪い、3年後に大内氏が奪回した。大内氏は山吹城を構えて銀山守護の拠点とした。この年の8月、神谷寿貞は大森に入り、中国渡来の銀精錬技術である灰吹法に日本で初めて成功した。この技術でより効率的に銀を得られるようになり、全国の鉱山に伝えられ、日本における銀産出に大きな貢献をすることになる。灰吹法確立以前は、鞆ヶ浦(仁摩町)・沖泊(温泉津町)から鉱石のまま積み出され取引された。



Powered by Movable Type 3.33-ja Copyright(C) 2006 世界遺産ガイド Allrights reserved.